連載・特集

2023.4.7みすず野

 小学校の最初の担任は女性の水崎先生―下の名前が出てこない―半世紀たった今も顔が浮かぶ。もっと若いほうがよかった(と思ったかどうかは分からないが)ちょっと、がっかりしたのを覚えている。厳しくも優しい先生だった◆安曇野出身の作家・臼井吉見も教壇に立ったことがある。親や子供にとって、何より切ないのは〈受持教師をえらぶ権利がないことですね〉―りんどう俳句会副主宰の降旗牛朗さんが臼井の言葉を講演で引いた。自らも教員OBの牛朗さんは「実際は教師のほうも選べないのですが」◆臼井も言うように大変な仕事だと思う。大学を出た次の日から「先生」と呼ばれ、新米もベテランもなく〈自分の全人格をひっさげて〉子供と向き合わなければならない。外の社会なら少なくとも10年の経験が要るところだ。そのため失礼ながら〝浮世離れ〟の傾向も否めない◆ランドセルを背負った新1年生が桜花の下、校門をくぐる。幾たび見てもほほ笑ましい。講演のレジュメにこうもあった。〈人間の魂と魂が火花を散らす仕事、そういう職業が神聖でないとどうしていえますか?〉仰げば尊し、水崎先生の恩である。