連載・特集

2023.4.20 みすず野

 松本に来て住んだ四ツ谷東の下宿代は2食賄い付きで月2万5000円だった。物価を書き留めておくと当時の金銭感覚が分かる。内田百閒の随筆で〈年俸千円〉の時代に〈二十円の鯉〉を買うのはなるほど浪費家だ◆下宿でこの時季、初めて見る渦巻き状の山菜が食卓に上った。おばさんが「コゴミよ。うちの庭にも生えてるでしょ」。ある年は北安曇へ知人に誘われ、タラの芽を採りに行った。とげが刺さらないよう軍手を着け、先端を鎌でしならせて顔の高さに引き寄せる。てんぷらの揚げたてをほくほくと頬張れば苦みが口いっぱい広がり、何となく山の清気が体にみなぎるような気持ちになった◆松本に来て間もなく、あがたの森の思誠寮が取り壊された。今は記念館に収まる壁の落書きをこの目で辛うじて見た世代が還暦だ。寮歌祭が今秋4年ぶりに再開の運びという。松高OB北杜夫さんが在校時に作詞した「人の世の」―哀愁の調べと歌詞を忘れない。往年のバンカラ学生が集い、青春の熱がほとばしる◆きょうは百閒忌。旧制六高(現・岡山大学)の出だが、地元の造り酒屋の息子だから寮へは入らなかったかもしれない。