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明治から昭和に使用 北小野の共同横水道を調査 塩尻の憑史談会

共同横水道の井戸の跡

 塩尻市北小野の「憑史談会」が、宮前・大出の一部でかつて使われていた共同横水道を調査した。明治初めに造られ、現在も北小野保育園付近から北北西の霧訪山麓に向かって、水道用のトンネルが地下約3メートル、長さ約90メートル(推定)にわたって残っている。会員で調査責任者の古厩一さん(73)=北小野=が調査結果をまとめ、このほど発表した。

 保育園東側に地下トンネルにつながるマンホールがあり、同位置から山麓に向かってYの字にトンネルが延びている。内部は赤土の粘土層でマンホール付近の高さは1. 7メートル弱だが、水源に向かうほど低くなっている。
 かつてはトンネル内の水路に山からの水が流れていた。水路はマンホール付近で直径5センチほどのパイプに切り替わり、両小野中学校校庭の下を通って下流の2カ所の井戸に流れ出た。地区内に簡易水道が引かれる昭和30年代までは飲料水や生活用水に使われ、暮らしに欠かせなかった。平成18(2006)年の大雨で水が枯れたが、現在も大雨の後には水が出る。
 昨年6月の半日研修で調査した。井戸の近くに住む青木岑夫さん(88)から現地で説明を聞き、どのように水が使われたかを調べた。古厩さんは、青木さんが所有していた図面を模写してトンネル略図も作成。内部に入り、現在の状況を撮影した。
 2月下旬に憑史談会と北小野公民館が主催したふるさと歴史講座で発表した。古厩さんは「共同横水道が残っているのはすごいこと」と驚き、「住民が苦労をしてトンネルを掘り、水を得ていたことが分かった。水なくして地域の歴史は語れない」と話していた。