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歌人・若山喜志子を画家・河越虎之進が描く 塩尻ゆかりの絵画 歴史の里史料館で展示

河越が描いた「若山喜志子像」

 塩尻市広丘吉田出身の歌人・若山喜志子(1888~1968)を描いた油彩画2点が19日まで、塩尻市洗馬の本洗馬歴史の里資料館で展示されている。作者は現在の松本市梓川出身で塩尻・松本市境の崖の湯にアトリエを構えた画家・河越虎之進(1891~1989)で、河越の作品を紹介している企画展に出品された。喜志子は晩年にたびたび崖の湯に滞在しており、展示では喜志子と河越家との交流も伝えている。

 2点は昭和28(1953)年作の「若山喜志子像」と「歌人望郷」で「歌人喜志子の晩年を的確に伝える貴重な資料」と紹介している。喜志子は夫で歌人の若山牧水を昭和3年に亡くし当時は66歳だった。着物を着た白髪の姿を描く「若山喜志子像」について、資料館の佐藤隆治指導員は「厳しさの中に寂寥感がある」とする。
 「歌人望郷」は中央に和装の女性の後ろ姿を配した。北アルプスと思われる雪の連山の下に故郷があるのだろう。塩尻短歌館の藤森円指導員によると、喜志子は牧水が主宰した歌誌『創作』の状況や自らの歌に思い悩んでいた。自宅のある東京を離れ、自然豊かな崖の湯で過ごす中で自分を取り戻していった。
 河越も気鋭の洋画家と注目されながら脚を病み、子供や母を亡くすなど不幸が重なり、治療を兼ね崖の湯に拠点を移していた。牧水と喜志子の長男で歌人・若山旅人(1913~98)は著書『明日にひと筆』で「歌人望郷」に触れ「母は絵について文学について、芸術家同士の有無あい通ずる語らいにどれほど慰められたか分からない」と指摘した上で「言葉にも文字にも現わせない、情感的な孤高性」を捉えた画家の目に驚嘆している。開館は金、土、日曜日の午前10時~午後5時。150円(中学生以下無料)。問い合わせは同館(電話0263・54・5520)へ。