連載・特集

2023.3.6 みすず野

 庭のあるお宅がうらやましい。花や草が楽しめる。多摩丘陵の一角、川崎市生田に長く住んだ小説家・庄野潤三の庭にはこの時季スイセンやチューリップ、ノビルがあった。クロッカスはまだ小さい◆机から〈侘助〉の葉隠れにウグイスが見えた。植木鉢に詰め込んだ牛の脂身を体ごと、ぶつかるようにして食べている。鳴き声を聴いた。ささ鳴きなら耳にしていたが〈本式〉は今年初めて。〈喜んだ拍子にくしゃみが出て、布団で口をふさいだが、それきり鳴かなかった〉『庭の山の木』講談社文芸文庫◆きょうから啓蟄。虫も鳥も動きだす。寒冷の当地でウグイスの初鳴きはいつ頃だろうか。16年前まで職員の耳で観測していた松本測候所の記録を見ると―たいてい3月下旬か4月上旬―3月6日(最早は2月23日)なんて年もある。桜の開花予想日が今年は全国的に早めで、松本城も平年より早まりそう◆庄野は安岡章太郎や吉行淳之介らと共に「第三の新人」と呼ばれ、家族を描いた作品で没後14年の今もファンが多い。庭はなくとも随筆を読むと、文学の深みや季節の移ろいが味わえる。人に会いたくなった。近づく春は駆け足だ。