連載・特集

2023.3.15みすず野

 1年生のときの遠足で6年生が手を引いてくれた。お兄さんは大人に見えた。自分が6年生になった年、博多まで開通した新幹線に乗りたくて友達と小旅行を企て、次が小倉だから―せめて2駅と―新下関へ行った◆イメージの中にある「6年生」像は大人であり、子供だ。どこまでも優しくて頼りがいがあった。関門海峡だって越えられる。一方で、下関までしか知らない。新幹線で冷たい水をかぶかぶ飲む子供だった。デッキの紙コップに見向きもしなくなるのは中学、いや高校生になってから。あくまでも例え話だが―6年生はそういう年齢だと思う◆今も「講堂」と呼ぶだろうか。体育館かもしれない。名称はどちらでも扉をくぐったときの、ぴりっとした緊張感は在校中しか味わえない。卒業後に同じ場所に立つと―校長先生が話をする演台も、右か左の校歌額も今とはきっと違って見える◆講堂の始まりはお寺でなかろうか―もし関心があったら先生に聞いてみるといい。古くて大きな寺へ行くと―塔や金堂と並んで―講堂が立ち、お坊さんが勉強する所だと教わる。君たちも今後いろいろな講堂で学ぶだろう。卒業おめでとう。