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阪神大震災30年 被災した衞藤悦郎さん「激しい揺れに死を覚悟」

被災当時を振り返る衞藤さん

 「何もできなかった。これで終わりだと覚悟した」。安曇野市穂高牧の安曇野穂高ビューホテル社長・衞藤悦郎さん(64)は、阪神・淡路大震災が発生した平成7(1995)年1月17日午前5時46分、神戸市東灘区の自宅マンションで、妻と小学校1年生の長男=当時(7)=、保育園年中の長女=同(5)=の家族4人で就寝中だった。30年たった今でも、激しい揺れの中で覚えた恐怖と無力感は鮮明だ。

 突き上げるような縦揺れに続いて猛烈な横揺れ。暗闇の中、隣で寝ていた長男を守らなければと、とっさにたんすを押さえた瞬間、上に載せてあった衣装ケースが落下。必死で名前を叫ぶといつの間にか自分にくっついていた長男が泣き出した。
 少し揺れが収まり手探りでリビングへ出た。スリッパの裏に割れたガラスや食器のばりばりとした感触が伝わってきた。ひしゃげた玄関ドアに何度も体当たりして開け、戸外の薄暗がりに目を凝らした時、2階建てだった住宅が1階になり3階建てのマンションが傾いた、信じられない光景が広がっていた。
 マンションは危ないとその日は終日、家族と共に車の中で過ごした。ラジオから聞こえてくる「死者2人」のニュースに「そんなわけない」と思った。報道機関のものらしきヘリコプターはやたら飛んでくるが、救助は一向に来ない。家族を車に置いて近くの様子を見に行くと、倒壊した住宅のそばで「主人が取り残されている」と助けを求める女性がいた。何とか中に入れないかと試みている時、余震が襲った。家族の顔が思い浮かび「ごめんなさい。できない」と断るしかなかった。
 翌日、家中の食料を車に積み妻の実家のある大阪市へ向かった。通常なら30分ほどの距離だが各地で道路が被災していて12時間かかった。その後、自身の故郷・大分県豊後大野市に移り半年間ほど滞在した。再び神戸に戻り40歳近くで安曇野市に移住した。
 一瞬にして多くの建物を倒壊させ街の景色を一変させた震災の経験は「生涯、自分の家は持たない」と決める契機になった。死を覚悟した記憶が薄れることはない。