連載・特集

2025.1.4 みすず野

 「昭和の大修理」落成から、今年で70周年を迎える。松本市のシンボル・国宝松本城天守だ。弊紙元日付で、当時のお城の写真を添え、紹介していた。終戦間もないころで、苦しい生活を強いられていたと想像できるが、市民挙げての保存運動が起こったという。地域の先達の心意気に感動し、頭が下がる◆天守の大修理は明治期にもあった。松本中学校長の小林有也の音頭取りで行われ、大正2(1913)年に完了した。以後、天守保存に対する関心は高いとは言えず、特に太平洋戦争中は実質的な保存活動がなく、天守の傷みは一層進んだ。天守の状態から修理は待ったなしに迫られていた◆市教育委員会発行の副読本『わたしたちの松本城』に戦後、連合国軍総司令部(GHQ)ギャラガー美術顧問の解体修理の勧告もあって、国が保存活動に乗り出した、と記される。加えて、市民はもとより当時の松岡文七郎市長の強い熱意と努力によって解体復元修理が現実となった、とも◆松本城は永久保存へ現在も調査や整備が進められる。市の城郭整備担当課長が「先人の思いに立ち返って取り組んでいきたい」と語っていた。そう願う。