地域の話題

災害の記憶将来の備えに 県西部地震きょう40年

謙治さんの遺影を見ながら県西部地震を思い出す考助さん

 死者・行方不明者29人を出した王滝村を震源とする昭和59(1984)年の県西部地震は14日、発生から40年となる。村内には3400万立方メートルもの崩壊土砂が生じた山体崩壊「御嶽崩れ」をはじめ災害の爪痕がいまだに残っており、住民たちは災害の記憶を子供たちに伝える活動を続けている。一方、震災当時は約1700人だった村の人口は年々減少し高齢化が進み、将来起こり得る災害に備えた防災のあり方が見直されている。
 「もう40年になるんだね。でもつい昨日のように思える」。
 ガソリンスタンドを営む大家考助さん(73)=東=が語った。松越地区では住宅、生コンクリート会社などをのみ込み死者13人を出した巨大な地滑りが発生した。県道を歩いて自宅へ戻る途中に、父・謙治さん=当時(72)=も巻き込まれた。
 当時、ガソリンスタンド事務所にいた考助さんは「下から突き上げるような破壊的な揺れ」と振り返る。村の広範囲で被害が発生しており、村消防団員だった考助さんは、親族総出で父の捜索をしながら、団員としても捜索に当たった。家業のガソリンスタンドも震災直後は朝から晩まで捜索車両の修理やガソリン供給に追われ、てんやわんやだった。
 村の人口は当時の半分以下の約650人まで減少し、高齢化も大幅に進んだ。考助さんは「今は人がいない。外に働きに出ている人も多く、村にいる消防団経験者が頑張らねばという覚悟はある」と話していた。