連載・特集

2024.9.5 みすず野

 天皇陛下のラジオ放送があると伝えられていた昭和20(1945)年8月15日正午、のちに作家となる18歳の宮脇俊三さん(1926~2003)は、山形県長井市の今泉駅前の広場で、父とともに放送を聞いた。まもなく列車が来た。「こんなときでも汽車が走るのか、私は信じられない思いがしていた」(『時刻表昭和史完全版』中公文庫)◆「いつもと同じ蒸気機関車が、動輪の間からホームに蒸気を吹きつけながら、何事もなかったかのように進入してきた」。機関士も助士も乗っている。「機関士たちは天皇の放送を聞かなかったのだろうか、あの放送は全国民が聞かねばならなかったはずだが、と私は思った」。だが「予告された歴史的時刻を無視して、日本の汽車は時刻表通りに走っていたのである」と◆敗戦ショックの混乱と狼藉の中で「鉄道員は従来どおり忠実に業務を履行していたように思われる。鉄道員が偉かったのか、鉄道という厳しいシステムがそうさせたのか」と記す◆その時代を見てきた「乗車体験記を綴っておくのは無意味ではないと思う」と控えめに書いた。当時を知る人が少なくなる今、貴重な歴史的証言だ。