連載・特集

2024.9.4 みすず野

 米が店頭からなくなったとニュースになり、何年ぶりかの米不足かと心配されたが、来週から新米が店頭に並ぶと、昨日の紙面に載った。米が足りなくなったのはなぜなのか多くの人が考えただろう。平成5(1993)年の米不足と、タイ米騒動を思い出した◆ドイツ文学者の種村季弘さんは、戦後間もないころ、米がなくなり「一家でいわしの骨を湯にひたしてすすった。もうこれっきり。餓死ということばがまざまざと浮かんだ」と子どものころを書く(『徘徊老人の夏』ちくま文庫)◆明け方近く玄関が騒がしいので目が覚めた。誰かが大声で話している。重い物を下ろす気配。「『...さん(と父の名をいって)のところは子供がいるから、米が足りんだろうと思って、通りすがりに寄ってみた』いうなり米袋を置いてさっと消えた。後で聞くと、テキヤの親分で全国を回っている親戚の人だそうである」◆笠地蔵のような、袋を担いだ親分のおかげで一家は餓死を免れた。育ち盛りのあのころは「なにしろ米、米、米が食いたかったのだ」と。食べ盛りの子供がいる家庭は、米はいくらあっても足りないほどだろう。とりあえず一安心だ。