連載・特集

2024.8.14 みすず野

 俳優の宝田明さん(1934~2022)は、父の転勤で2歳ころ満州(現在の中国東北部)へ移る。現地で終戦を迎えると、ソ連軍が侵攻してくる。シベリアへ行く貨車に、出征していた兄二人が載せられていないかと駅に近づいたとき、ソ連兵が撃ち始めた銃弾が脇腹に当たる◆元軍医が銃弾を取り出しに来てくれたが、手術用具も麻酔もない。裁縫用の裁ちばさみを焼いて消毒、傷口を切って銃弾を取り出した。痛さにのけぞり、握りしめていたベッドの柵が曲がった。11歳だった◆「そんな恐ろしい目に遭ったので、僕はロシアの映画も音楽もバレエも、そして文学も、どんな素晴らしい芸術も心が受け付けてくれないんです。これはもう、死ぬまで変わらない気がします」(『銀幕に愛をこめて ぼくはゴジラの同級生』筑摩書房)◆続けて語る。「焼き付いた記憶は、なかなか消せません。憎しみ、つまり憎悪しか残らないんです。もちろん、アジアの国々には日本に対して同じような感情を抱いている人もいるのかもしれません」と。その後には、過酷な引き揚げの旅が待っていた。そしてつぶやく。「これが戦争なんですね」。