連載・特集

2024.7.21 みすず野

 本欄で過日、明治時代に松本城の天守保存に大きく関わった人物として小林有也、市川量造を挙げた。読者から「大事な人を忘れていませんか、最後の松本藩主・戸田光則を」と便りをいただいた。そうだ、おっしゃる通り。そもそも守るべき天守が失われていた可能性もゼロではない◆幕末、王政復古を経て明治政府ができたものの納得できない幕府勢力らと新政府軍との内戦が始まる。戊辰戦争だ。どちら側につくか決められないでいた松本藩は、光則に判断を委ねる◆光則は新政府軍への帰属を決めていて、本山宿まで攻め入って来ていた同軍の岩倉具定総督に自ら謁見、勤王の誓約をした。謹慎を申しつけられるほど遅い、態度の決定だった。が、このぎりぎりの光則の行動がなければ、新政府軍と戦闘となり、松本は城を含めて火の海となっていたかもしれない◆「令和5年度松本市立博物館第12期市民学芸員養成講座成果品パンフレット」に1617~33年と1726~1871年の2度、松本藩主を務めた戸田氏の簡略な歴史が載る。藩主の紹介で光則は「幕末維新の動乱期新政府に従順し、松本藩を守った」と記されている。