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昭和9年の記念写真のガラス乾板発見、現像に成功 安曇野市豊科の大同神社

見つかったガラス乾板や現像した写真、きっかけとなった書籍目録を持つ西澤さん(中央)ら氏子総代

 安曇野市豊科の大同神社で、松本藩主を務めた戸田家の第3代子爵・戸田康保(1899~1948)が昭和9(1934)年に同神社を参拝した際の記念写真のガラス乾板が見つかった。保存状態がよかったため、現像にも成功。氏子総代の代替わりなどで継承されてこなかった神社の歴史が掘り起こされた。

 氏子総代は本年度から神社で保管されている古文書などの解読に取り組み、通信「大同神社お宮あれこれ」を発行して地元の回覧板で回している。昨年11月、解読の中心となっている氏子総代主任の西澤洋明さん(74)が昭和10年の書籍目録を読んでいたところ、戸田子爵が参拝した様子を記録した安曇野の月刊誌『信濃不二』があることを発見した。
 神社で『信濃不二』が見つからなかったため、西澤さんは市文書館で同誌を確認。神社に飾られているもののいつ何のために撮影したか不明だった集合写真が、掲載写真と同じことに気が付いた。これにより、写真には戸田子爵や当時の有力者、『信濃不二』を発行したジャーナリスト・会田血涙(1876~1951、本名・貢)らが写っていることが分かった。
 さらに今年2月、『信濃不二』に記載があった戸田家の家紋入りのよろいを探そうと宝蔵倉に入った西澤さんが、偶然ガラス乾板を発見。昔ながらの技法で現像をしている三郷明盛の写真愛好家・等々力治さん(77)に現像を依頼した。等々力さんは「ガラス乾板は割れたり、写し留める薬品の精度が悪かったりした。残っているだけで貴重」と話す。
 『信濃不二』の記載により、戸田子爵が参拝時に境内に植樹した木が残っていることも分かった。西澤さんは「今この地域で戸田子爵の参拝を知っている人はいない。しっかり記録にとどめておきたい」と力を込める。
 神社で保管されている文書は、これ以上の散逸を防ぐため、市文書館への寄託を検討しているという。

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