連載・特集

2024.3.7みすず野

 『窪田空穂随筆集』(大岡信編岩波文庫)の「老の顔」を読んでいたら「私の身辺には、何時も煙草盆と煙管それにトランプがある」という文章に行き当たった。何かしていて「意識の流れが少しあやうくなると」煙草に手を伸べ、それでだめなときは「煙草の代りにトランプを手にする。そして独占いをするのである」と◆予定の形になるまで繰り返し、その形になると「気分が妙に新たになって来る。煙管とトランプ、これは私には気分転換器で、一種の愛人である」と書いた。昭和30(1955)年、77歳のとき。空穂は89歳まで生き、80代になっても創作意欲は衰えなかった◆そのトランプが見られるかもしれないと、松本市和田の空穂の生家と道を隔てて向かい合う記念館を訪ねた。受付で聞くと常設展示スペースのガラスケースに入っているという。そこには煙管や拡大鏡、補聴器なども並んでいた◆紙製で、使い込まれた様子が、わずかな折り癖やうっすらと付いた汚れでわかる。裏は伊勢丹の紙袋に似たタータンチェック。老いと向き合いながら、創作に取り組んだ晩年の空穂を支えたと思われるトランプは少し小さめだった。

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