洗馬の貴重な資料 19、20日の文化祭で展示へ 地区誌編さん活動で収集

塩尻市の洗馬地区は令和10年度末の完成を目指し「洗馬地区誌」の編さんを進めている。その調査・編集活動の一環で、収集した資料の一部を19日と20日に市洗馬支所で開かれる文化祭で展示する。精密に描かれた江戸時代後半の貴重な「本洗馬村絵図」などがあり、地域住民に取り組みを周知して関心を高めてもらう機会とする。
本洗馬村絵図は、所蔵する県立歴史館に許可を得て撮影画像を用いる。文化14(1817)年に作られ、田、畑、河原などが色分け表示されている。農業用ため池だった沓沢湖は田んぼで、川の流量などを調整する複数のせきにより水田利用された様子がうかがえ、高遠藩に納める米の貯蔵施設もあった。昭和30(1955)年に米軍が上空から撮影した高精細写真もある。
展示はパネル8枚分あり、大火のあった江戸時代に火伏を願い群馬県の妙義権現を勧請したことや、この地域が平安時代の藤原実資右大臣や鎌倉時代の後白河院の荘園だったと裏付ける資料が並ぶ。
地区誌編さんは、地元の自然や歴史文化を後世に継承する狙い。令和5年10月に刊行団体「洗馬地区誌編纂会」をつくり、実働部隊として各区選出の編集委員32人と協力員4人で構成する「洗馬地区誌編集委員会」を発足させた。部会別に月1回活動する。学芸員の資格を持つ編集委員会の中原文彦会長(71)は「先人がどう開発してきたか過去の姿を見てもらうのは大切」と話す。住民からの写真資料や情報の提供も求めている。