河原操子と小里頼永の対談裏付ける写真発見 松本市文書館の企画展で紹介

初代松本市長・小里頼永(1855~1941)の関係文書「小里家文書」を所蔵する市文書館(鎌田2)で、日本人女性として初めて中国の女子教育に携わった松本藩士河原家の長女・河原操子(1875~1945)が小里家を訪ねた昭和9(1934)年の写真が見つかった。中央に足跡を残した操子と郷土の小里の対談を裏付ける写真が確認されたのは初めて。11月下旬まで開催中の同館企画展「河原操子と大清帝国」で紹介されている。
昭和9年8月8日、操子が北深志の小里家を訪ね、応接間で小里と対談した際の写真とみられる。小里の妻・さわの日記には「開運スヰトのアイス」や果物、トウモロコシ、お茶を出して迎えたことや、撮影の新聞記者が同席したことが記されていた。操子と小里は縁戚にあたり、操子59歳、小里79歳の夏という。
明治35(1902)年、清王朝末期の大陸に渡り、上海や内モンゴルで女子教育に携わった操子は、39年の帰国後に横浜正金銀行ニューヨーク支店副頭取の一宮鈴太郎と結婚。ニューヨークにも滞在し、昭和10(1935)年には、操子の半生をつづった伝記『日露戦争秘史中の河原操子』が婦女新聞社から出版された。小里との対談は、伝記に反映させるための郷土に関わる聞き取りだったとみられるという。
今回確認された写真は、小里家文書の中の一点にあたる。発見当時「蔵に眠っていた市史」とも称された小里家文書は、実際の松本市史編さんに生かされたが、資料群は膨大で、市文書館は一昨年度から再整理を進めている。同館の木曽寿紀専門員は「郷土にも中央にも足跡を残した人物や物事など、今後も小里家文書を通して新たな視点から、近代松本の一角が見えてくるかもしれない」と話している。
企画展「河原操子と大清帝国」では写真を含む53点を展示しており入場無料。