地域の話題

わがマエストロ・小澤征爾さんの思い出 和波さんと大窪さんに聞く

バイオリニスト・和波さん(右)と、公式カメラマン・大窪さん

 総監督の小澤征爾さんが亡くなり、初めて迎えた国際音楽祭セイジ・オザワ松本フェスティバル(OMF)。サイトウ・キネン・オーケストラ(SKO)のメンバーやOMFスタッフは小澤さんとのどんな思い出を抱え、今夏の祭典に臨んだのだろう。SKO結成当初から参加する盲目のバイオリニスト・和波孝よし(「よし」の漢字は示偏に喜)さんと、OMF公式カメラマン・大窪道治さんに聞いた。 

【和波さん】
 指揮者としての小澤さんとの出会いは大学生の頃。学生オーケストラを指揮してもらうと「音がガラッと変わり、ものすごい高揚感があった」と懐かしむ。
 SKOには結成のきっかけとなった40年前のコンサートから参加する。生まれつき全盲のため、小澤さんは声で合図してくれた。「指揮が分かりやすく、言葉が的確で安心だった」と振り返る。他のパートを聴くよう繰り返し助言され「聴くことなら誰にも負けない。これならついていけると確信した」。
 演奏会では必ず「ありがとう」と声を掛けてくれ、一人一人を大事にする姿勢を象徴していた。「目が見えないとできないでしょ、と言われがちだけれど、小澤さんは僕がそこにいることを肯定してくれた」と感謝する。
 今思うのは、小澤さんが残してくれた財産の松本とSKO、フェスがもっと輝かないといけないということ。「松本の方々に来てね、と言い続けてもらえるようにしなければ」と力を込めた。

【大窪さん】
 ウィーンやベルリン、ボストンなど海外で、小澤さんがオーケストラのリハーサル初日に臨む張り詰めた空気感。松本で、小澤さんが気心の知れたSKOのメンバーと談笑する和やかな雰囲気―。大窪さんは昭和60(1985)年から小澤さんの写真を50万枚以上撮影してきた。
 音楽をつくり上げる小澤さんの真剣な姿にずっと接してきた。平成4(1992)年に始まったサイトウ・キネン・フェスティバル松本(SKF)でも開演5分前、スコアとにらめっこしている小澤さんがいた。「どうしても気になるところがあったのか、金管やバイオリンなどその人たちを集めて一言、二言いう。本当に本番ギリギリまでつくっていた」と振り返る。
 小澤さんがいなくなった今夏の祭典。音楽家も全スタッフも一つになっているのをビンビンに感じた。フェスティバルは常に進化し、みんな立ち止まっていない。「将来に向けてつくり出している。これはもう本当に他の都市にはない、松本だから」。