楽都ゆかりの齋藤秀雄さん・鈴木鎮一さん 100年前の縁、写真に残る

楽都・松本を象徴する国際音楽祭セイジ・オザワ松本フェスティバル(OMF)と才能教育研究会(本部・松本市深志3)は、100年前から縁がつながっていた―。2月に亡くなったOMF総監督・小澤征爾さんらの恩師でサイトウ・キネン・オーケストラのルーツとなる音楽教育者・齋藤秀雄さん(1902~74)と、才能教育研究会創始者・鈴木鎮一さん(1898~1998)がドイツ留学時代に一緒に収まる写真がある。齋藤さんの没後50年を迎え、あらためて、当時は松本と無縁だった2人の接点に関係者が感慨を深めている。
写真は松本市旭2の鈴木鎮一記念館に展示されている。撮影は大正13(1924)年5月、ベルリン。日本のオーケストラの基礎を築いた指揮者・近衛秀麿(1898~1973)の送別会とメモが残る。日本人音楽留学生を中心に9人が写り、齋藤さんは主にライプチヒでチェロ、鈴木さんはベルリンでバイオリンを学んでいた。
同館初代館長・望月謙児さん(故人)が、鈴木さんが語った齋藤さんとの思い出を平成11(1999)年の市民タイムスに寄稿している。2人は一時ベルリン滞在が重なり、チェロの実力者だった鈴木さんの弟も、短期間一緒になったという。「謙虚な彼(齋藤さん)は、弟にすっかり私淑してしまって、よくレッスンの下見をして貰っていたようです」と載る。
2人の親交を直接示す資料はないものの、昭和7(1932)年にバイオリンとチェロの奏法に関する共著『室内楽』を出版している。
晩年の鈴木さんをよく知る前館長・結城賢二郎さん(75)は、齋藤さんとの間柄について、世界と肩を並べるため、西洋音楽の歴史の浅い日本でなく本場で学んだ"同志"で「帰国後も、情報交換しながら付き合いがあったのでは」と推察。2人の奏法の基礎は今もほとんど変わらないとし、「日本の西洋音楽の礎だけでなく、結果的に松本の楽都の面まで築いたことになる。すごいこと」とかみしめている。