政治・経済

戦後の松本市長 多士済々 出身校や前職からひもとく

 松本市は、明治40(1907)年の市制施行から14人が市長に就いた。戦後の公選市長は8人だ。公選市長はどんな人で、どんな仕事をしたのか。3月10日告示の市長選挙を前に、出身校や前職からひもとく。

 出身校別にみると、松本深志高校(旧制松本中学校)が最多で5人。昭和22(1947)年の戦後初の市長選で選ばれた筒井直久氏(7代)と、4年後の市長選で現職・筒井氏との一騎打ちを制し「昭和の大合併」を進めた松岡文七郎氏(8代)。「松本第一主義」を掲げ、現在の市役所本庁舎の建設や県営松本空港の開港に尽力した降旗徳弥氏(9代)に、松本駅周辺整備などにかかわった和合正治氏(11代)、NHK出身の現職・臥雲義尚氏だ。
 ほかの4人は、元県議会議員で保育所の市営化などを進めた深沢松美氏(10代)が松本商業(現・松商学園高校)、各地区への福祉ひろばの建設、まつもと市民芸術館の建設などを手掛けた有賀正氏(12代)が松本県ケ丘高校、「健康寿命延伸都市」政策を進めた菅谷昭氏(13代)が上田高校となっている。
 出身大学は京都大が2人で、早稲田大と信州大、東京大が1人ずつ。職業でみると、医師が松岡氏と菅谷氏の2人で、国会議員経験者が1人(降旗氏)、県議経験者が3人(降旗氏、深沢氏、有賀氏)となっている。マスコミ関係者もいて降旗氏、深沢氏、臥雲氏の3人だ。
 出身地域でみると、筒井氏が神林村(現・神林地区)、降旗氏が本郷村(現・本郷地区)、深沢氏が波田村(現・波田地区)、菅谷氏が市外(旧更埴市)で、他は旧市となっている。
 元市職員で、市政の歴史に詳しい芳川公民館の柏澤由紀一館長は「いろんなジャンルの人がいるのが松本の特徴。市民はその時々で時代に合ったリーダーを選んできたことが読み取れる」と話す。
 今回の市長選もマスコミ関係者や元衆議院議員秘書など多彩な経験を持つ5人が名乗りを上げている。それぞれ掲げる松本の将来像に有権者がどういう判断を下すのか―。

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