連載・特集

2023.9.1 みすず野

 県は大正12(1923)年の関東大震災を受け、東京市内に相談所を設けた。11月半ばの早朝、1人の女性〈年の頃二十三四〉がやってくる。奉公先を逃げ出してきたという。訳はこうだ◆主家の子供が病気になり、自分も何かできることをしたいと考えた女性は、成田不動へ3週間の断食参籠を思い立つ。満願が9月1日。主家の奥さんが迎えに来てくれ〈粥を昼げにと宿に着いた〉瞬間ぐらっときた。2人で何とか東京に戻ると惨状は目も当てられない。途端に奥さんは「おまえがあんな所に行くから、こんな目に遭った」と態度を一変させる◆『長野縣震災誌』に〈相談所余録〉として載っていた。同誌を読むと―米や衣類、野菜類などの救援物資と義援金が全県から寄せられたり、駅で炊きだしをしたり。朝鮮人が暴動を起こすとの流言が当地でも飛び交い、決して対岸の火事でなかったことが分かる◆相談所の所員はもうしばらく辛抱するよう説得したが...彼女の行方は分からない。余録の筆者は―短く意訳すると―震火災が家屋や財宝だけでなく〈人と人をつなぐ道徳〉をも焼き尽くしたためではなかろうか、と書き添えている。