戦死した叔父の日章旗が戻る 穂高の小平方水さん

「名前があるだけで住所もない。返ってきたのは奇跡」。安曇野市穂高の小平方水さん(93)は、太平洋戦争で出征した叔父・一正さんのために親族らが贈った日章旗を見つめる。一正さんは激戦地となった硫黄島で戦死。日章旗は昨年6月、米国のNPOなどを通して遺族の方水さんに返された。同市の穂高神社御船会館で開催中の終戦記念特別展「戦時下の人々の暮らし」(同会館、穂高霊社奉賛会主催)で展示している。
一正さんは昭和19(1944)年、33歳で出征。命日は、硫黄島守備隊玉砕の日とされる翌年3月17日となっている。方水さんによると、一正さんの死後、遺族が受け取った骨つぼの中に入っていたのは、「名前が書かれた紙ペラ1枚だけだった」という。
日章旗は縦70㌢、横1㍍で、武運長久を祈った親戚や知人ら約100人の名前が書き込まれ、穂高神社の朱印も押されている。一正さんが戦地に携え、戦利品として米兵が持ち帰った。米兵の孫が返還を希望し、旧日本兵の遺留品を遺族に返す活動に取り組む米NPO「OBON(オボン)ソサエティ」や日本の遺族会を通して、返還が実現した。
「子供好きで優しい叔父だった。子供を集めて耳掃除をしてくれた」と振り返る方水さん。出征時、一正さんは結婚したばかりで、妻は妊娠していたという。「子供の顔も見られず、心残りがあったと思う。そういう気持ちが、旗だけでも返ってくるという形になったのでは」と話す。
特別展では日章旗と合わせ、出征時に撮った親族らとの集合写真も展示している。しかし、その中に方水さんの姿はない。当時15歳だった方水さんは学徒動員で、塩尻市の研磨剤工場で住み込みで働いていた。出兵で働き手がいなくなった農家の手伝いにも駆り出され、「学校は5年間だったけれど、1年も勉強したかどうか」と肩をすくめる。終戦を伝える玉音放送は、工場のグラウンドで聞いた。
特別展は、穂高神社の権禰宜で方水さんのおいである和彦さん(51)の発案がきっかけ。方水さんは「戦争はいかん、と感じてほしい」と願う。日章旗の他、安曇野市教育委員会などから借りたパネルや戦死者の遺品なども展示している。
31日まで。開館は午前9時~午後5時で、入館料300円(小学生100円)。問い合わせは御船会館(電話0263・82・7310)へ。