連載・特集

2023.9.7 みすず野

 群馬県生まれの土屋文明の目に奈良の大和うどんは〈塩水に浮かべ出した〉ように見えた。〈この頃はだいぶんなれてきた〉とつづる。万葉集の研究に打ち込んだ歌人の『万葉紀行』は続編とともに筑摩叢書で読める◆文明一行はバスで大和田原へ向かう。〈石激る垂水の上の〉で有名な志貴皇子の御陵がある。初版が昭和18(1943)年だから、風景はすっかり変わっているだろう。皇子を仰ぎ慕う思いがひしひしと伝わる。御歌一首。〈大原のこの市柴の何時しかと吾が念ふ妹に今夜逢へるかも〉◆松本高等女学校(現・松本蟻ケ崎高校)の校長を務めたとあって信州への関心も深く、西近江路(滋賀県)の編では地名の相似を挙げている。安曇川は知っていたが、筑摩や梓川も。ネット検索をかけると米原市内に筑摩神社があり、梓川が流れていた。〈近江を本地とする地名は各国にあるのかも知れぬ〉◆松本高女で文明は学校改革に大なたを振るい、父母や地元の反発を招く。生け花や茶道よりも勉強に力を入れたのだ。地元紙に「校内でヤギを殺して食った」と書き立てられもした。松本に住んだのはちょうど100年前である。