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能登地震被災地、想像超えた過酷さ 木曽病院のDMAT帰還

被災地から木曽病院へ戻り、小出直彦副院長(左)ら職員からねぎらわれる隊員たち

 石川県能登地方で最大震度7を観測した能登半島地震の被災地で活動した県立木曽病院のDMAT(災害派遣医療チーム)の6人が5日、任務を終えて木曽町福島の同病院に戻った。隊員たちが市民タイムスの取材に応じ、「想像をはるかに超え過酷な状況だった」と振り返り、さらなる支援の必要性を語った。

 医師の河西秀さん、看護師の横山恵子さん、山口雅哉さん、古瀬貴大さん、チーム活動を支える業務調整員として冨田勇さん、神村諒さんが派遣された。県の要請に基づいて2日に出発、大きな被害を受けた石川県珠洲市に陸路で入り、で3~4日に活動した。
 3日は同市総合病院で夜間の救急外来を手伝った。4日はドクターヘリで被災域外へ運ぶ患者を、病院から約1キロ先のヘリの離着陸場まで搬送する役割を担った。道路が被災し応援の到着が難しい状況だった。古瀬さんは「医療をする前に人が足りない。自分には何ができるのか」と戸惑う状況だったという。
 病院に電気は確保されていたが断水しており、周囲は傾いたり倒壊したりした家屋が多かった。現地の医療従事者も家族らが被災する中「不眠不休」で被災者や入院患者らの対応に当たっていた。木曽病院のDMATのリーダーを務めた冨田さんは「現地で(災害対応の)医療の第一歩を踏み出す手伝いができたことは意義があった」としつつ、「全体的な課題と向き合う段階はこれから」と話す。
 神村さんは水など多くの物資や人手が不足する状況を実感し「一刻も早い支援をしていただき、一日でも早い復興を」と願った。山口さんは「現地でできなかったことが、自分の中で見えてくるはず。しっかり生かしていきたい」と話した。