連載・特集

2024.2.10 みすず野

 現代は男女共同参画社会・ジェンダー平等社会へ、さまざまな取り組みが行われている。それは以前がそうでなかったことを意味する。女性の立場が低かった時代、それを変えようと女性自らが声を上げるのはかなりの勇気を要しただろう。そんな難題にいち早く立ち向かった平塚らいてうのきょうは誕生日◆本名は明で、明治19(1886)年に東京で生まれ、育った。小学校にも通えない女の子が多くいた時代だったが、裕福な家庭に生まれたらいてうは高校や大学にも進学できた◆大学を卒業後、22歳の時、らいてうは9月初めから12月半ばまで現在の松本市中山に滞在した(『平塚らいてう自伝 元始、女性は太陽であった』大月書店)。ここでお茶の水高女時代の親友で松本高等女学校(現松本蟻ケ崎高校)の家庭科教師をしていた小林郁と再会したり、東京とは異なる松本の空気に触れたりしたのが、その後の糧になったと考えるのは飛躍しすぎだろうか◆らいてうは明治44年に雑誌『青鞜』を刊行、女性に古い慣習にとらわれず生きようと呼び掛けた。大正では婦人参政権運動に尽力。戦後は平和運動や女性運動に力を注いだ。