連載・特集

2023.2.10 みすず野

 講義棟の入り口に「げた履き禁止」と書かれていた。信州大学の旭町キャンパスで、松崎一さんを見掛けた時の感激がよみがえる。旧制松高で後の北杜夫さんを教えた先生は、教養部の教壇に立っておられた◆『青春記』の迷答案〈恋人よ/この世に物理学とかいふものがあることは―〉の世界へ入り込んだような気がしたものだ。よっぽど物理を受講しようと思ったが、あまりに畑違いで単位取得の困難さは火を見るよりも明らかだったし、迷答案を書く自信もなかった◆上條宏之さんの訃報に接し、当時の講義の印象で「民衆」という言葉が真っ先に浮かんだ。民権家の松沢求策も「普選の父」中村太八郎も民衆から生まれた。信州の各地に自ら学び考え、行動する人がたくさんいた。その過程や地域史に目を向けたまえ。中央集権国家の政策だけを学んでも何も得られないよ―40年近く前だから記憶はあいまいだが、大体そんな趣旨ではなかったろうか◆高げたを鳴らしながら闊歩し、2年後にキャンパスを去った不遜で不肖の元学生が言うのはおかしいけれど、もっともっと教わっておけばよかった。つくづく思う。後悔先に立たず。