連載・特集

2023.11.21 みすず野

 中学校のとき社会科の授業で使った地図帳を、複数の同僚がいまも手元に置いているのを見て驚いたことがある。表紙は堅固な装丁だったから、長持ちはするだろうが、使い続けているのが不思議な気がした◆旧制松本高校出身の作家・辻邦生さんは、昭和43(1968)年の夏、東欧、北欧を旅した。そのときに持って行ったのが中学校で使った教科書用の1冊の地図。「とくに愛着があるわけでもなく、まして懐旧の趣味からではない」(『遊びなのか学問か』所収「地図と宿命」新潮社)が手元に残り、10年前のギリシャ旅行でも使った◆フランスのブルターニュ地方を一巡したときは、現地の地図を用いたが「希薄な印象しか残らなかった」。その理由を「人は実際の地面のうえではなく、それぞれに固有の地図のうえを旅行するからではないか」と考える◆カーナビは間違いなく便利だ。でも、目的地にどうたどり着いたか後から思い出そうとしても、はっきりしないことが多い。仕事では、長い間使ってきた詳細な住宅地図の方が、明らかに記憶に残る。それが「固有の地図」なのかも。いまもあの上をたどっているのに違いない。