連載・特集

2024.3.15 みすず野

 一人前と呼ばれる条件とは何だろうか。落語には、決まり切った文句を人前できちんと言えることだというやりとりがある。それは苦手だとずっと思っていたが、順番で回ってくるような地区の役員を続けていると、会議や行事であいさつや司会などを任されてなんとか格好がついてくるから不思議だ◆詩人の川崎洋さんは、公の場で、例えばお悔やみの文句ひとつきちんと言えないようでは「その人の成長はそこ止まりで、先の希望はないといっていい」(『心に届く話し方』ちくま文庫)と厳しい◆新聞記者になりたてのころは、慣用句を使って記事を書くから「会場のあちこちからすすり泣きがもれる」、その反対は「うれしい悲鳴」ということになるのだと。そのうち「こうしたきまりきった文句の型を破って、生き生きとした表現をするようになるのだそうです」◆「成り行きが注目される」も「記事の決まり文句」だが、「ナリチュウ」と呼び「使わないよう心がけている記者氏がいるとか」とくる。冷汗三斗。言葉の使い方、文章の書き方は、これでいいというゴールがない。最も恐ろしい言葉は「何年たっても」になって久しい。