連載・特集

2024.5.10 みすず野

 水俣病の記録映画を、高校3年の春、東京の映画会社を訪ねて借り、2カ所で上映会を開いた。水俣病に特別な関心があったわけではないが、年長の友人二人に引っ張られて参加した◆宣伝用のポスターを手分けして貼り、上映会場を借りて映写技師をお願いした。ほかには何もしなかったから、会場にほとんど人が集まらなかったのは無理もない。フィルムを借りた5万円は3人で分担して、分割払いで支払った。この映画で、自分と同じ年に生まれた胎児性水俣病の患者がいることを初めて知った。この話は10年以上前の小欄で書いた◆熊本県水俣市であった水俣病患者らの団体と伊藤信太郎環境相との懇談で、団体側の発言を環境省職員がマイクのスイッチを切って遮った問題をめぐり、環境相が謝罪した様子が報道された。水俣病をはじめとする公害問題に対処するために設けられたのが、同省前身の環境庁だ◆これだけの騒ぎにならなければ、おそらくそのままやり過ごしたのだろう。吉原幸子さんの「月日」の詩の一節を何度も読み返す。「ゆるすのはうつくしいわすれかただが/ゆるしてはいけないことを ゆるしてはいけない」