2024.5.16 みすず野
詩人・茨木のり子さんの夫が井伏鱒二の「逸題」という詩をいたく気に入り、なかでも2連目の 「春さん蛸のぶつ切りをくれえ/それも塩でくれえ/酒はあついのがよい/それから枝豆を一皿」が特に気に入ったのだという(『言の葉さやげ』河出文庫)◆この詩は『厄よけ詩集』に収められている。夫は晩酌のときなど「春さん蛸のぶつ切りをくれえそれも塩でくれえ」などと叫ぶ。「私も長く詩を書いてきてしまったが、読んでくれた人がお酒を飲んでくつろいだ時、ひょいと一節口ずさみたくなるような形で印象づけられているとは到底おもえない」といい、「いわば、かなり嫉けることなのであった」と◆茨木さんは詩集を手に入れ、一読、これほど笑い愉快になった詩集はなかったと書く。詩は悲愁の文学だという説を聞いたことがあるが、この詩集は詩の最大の敵、固定観念を破っている。だとすればこの詩集は「まことに値打ちのある一冊ではあるまいか」と語る◆「逸題」の末尾には「(新橋よしの屋にて)」とある。こんなふうに頼めるなじみの居酒屋はない。家では難しいなあ。『井伏鱒二全詩集』(岩波文庫)で読める。