筑北村が戦没者慰霊碑新設へ 現忠魂碑は解体
2025/09/02
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筑北村は本年度、戦後80年の節目に合わせて、日清・日露戦争から第2次世界大戦までの戦没者約440人の名を刻んで追悼する「慰霊碑」を本城地域に新設する。本城・坂北両地域に今ある「忠魂碑」を解体し、本城の碑跡に建立する計画だ。村によると、今ある忠魂碑は倒壊の恐れがあり、村遺族会も高齢化などで持続的な管理が難しくなっていた。
碑の建て替えについては村遺族会とも合意しており、村は本年度一般会計当初予算に解体・新設費を計上していた。
両忠魂碑はいずれも高さ5~6メートルで、厚さは30センチ前後。本城の碑は大正9(1920)年に建立され、碑文は松本市出身の陸軍大将・福島安正(1852~1919)の揮毫という。坂北の碑は昭和17(1942)年の建立で、揮毫は現上伊那郡中川村出身の海軍大将・塩沢幸一(1883~1943)と推察される。『村誌さかきた』によると、終戦時に連合国側の通達でいったん撤去されたが、昭和27年に土中から掘り出して再建されたという。
遺族会長の宮下喜義さん(74)=乱橋=は「忠魂碑の維持が難しい中、慰霊碑の新設はありがたい。将来は村との共同管理も期待したい」と話す。
村は今秋に忠魂碑の解体に着手する予定だが、記録保存の手立ては未定だ。安曇野市豊科郷土博物館館長で戦争遺跡を研究する原明芳さん(68)は「忠魂碑は戦争が影を落とした時代を省みる貴重な史跡。解体する場合でも、拓本や高精細写真など後世へ記録を残すのがいいと思う」と指摘する。
村教育委員会は碑の記録保存について「村歴史民俗資料館とも検討を進めている」と話している。
