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2025年

父の軍隊手帳で戦争学ぶ 豊科の丸山英二さんが活字化

2025/11/06
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 安曇野市豊科の丸山英二さん(85)が、父親の幹さんが日中戦争期に所持した「軍隊手帳」を読み解き、活字化した。戦後80年を迎えてなお、歴史認識の違いが日中関係に影を落とす中、史実と照らし合わせながら幹さんの足跡をたどり、戦争に対する自らの理解や解釈を深めている。
 幹さんは、昭和6(1931)年1月、主に宇都宮で編成された陸軍歩兵第59連隊に21歳で入隊。満州事変の発端となった「柳条湖事件」が同年9月に発生して間もなく、現役兵として看護衛生業務を担う上等看護兵を命じられ、日本軍が勢力を拡大していた旧満州(中国東北部)の玄関口・大連へ上陸。半年間の教育を受けた。
 日中戦争の引き金となった両軍の武力衝突「盧溝橋事件」が同12年7月7日に北京郊外で発生した後には、北京駅近くでの戦闘など転戦に参加。軍が中国中心部へ進軍していた同13年5月、河南省安陽市近辺で「破片創」を受け負傷した。
 丸山さんは、治癒まで数年を患った幹さんの姿を記憶するが、体験を聞くことはなかったという。日本軍の謀略説や中国側の発砲説など複数視点が存在する盧溝橋事件の歴史書をあらためて読み返しながら「大戦争へと拡大していく渦中に父はいた。軍の足取りをみれば、中国本土をこんなにも踏み荒らしていたのかと驚く」と話す。丸山さんは、幹さんの経歴を記した軍隊手帳の筆跡を追い「おそらく本人の字ではない」ことにも興味を持つ。
 市文書館へ寄託し、同館が12月28日まで開催中の企画展「手記 80年の時を超えて」で公開した。同館が収蔵する軍事郵便など戦争関連手記約700点のうち、軍隊手帳は5点に限られ、平沢重人館長は「軍隊手帳を資料とした歴史研究は未開拓」と知見を集める。
 幹さんは戦後、「日本赤十字社県支部付」を命じられ、昭和26年開院の旧豊科赤十字病院(現安曇野赤十字病院)の誘致、設置に尽力した。丸山さんは「戦争で何を目にしたかは分からない。ただ、地元に医療を普及させたいとの思いは、戦争体験に動かされたものがあったのだろう」とおもんぱかる。

幹さんの軍隊手帳を手に中国本土の地図を広げ足跡を追う丸山さん