連載・特集

2024.5.1 みすず野

 「こんな文章を書くのは、ほんとうは、はずかしい」と大岡昇平は「六十の手習い」と題した短い1編を書き出す(『日本の名随筆・老』堀秀彦編、作品社)。「五十すぎた小説家が、子供用の教則本をやってる図は(中略)少しピアノを知ってる人からみれば、笑い話にもならないだろうと思う」と続く◆前の年に胃を患い、退院してから、酒もゴルフも禁じられ、一日の時間を持て余し、娘のピアノをさわっているうちに「これをやっておいてもいいなと思いついた」。地元に住む作曲家に学ぶが先生は「十歳の子供のスピードでしか上達しないのに、業をにやしている」とか◆コロナ禍の当初、家から出る機会が減って家庭で楽しめる手軽な楽器として、ウクレレが人気になった。テレビの特集番組もあった。あのとき、ウクレレを始めた人たちは今も続いているだろうか◆高校生のころギターを少しかじったので、ウクレレはそれより弦が2本少ないから、きっとすぐ弾けるようになるだろうとブームに便乗したが、愛器はほこりをかぶっている。上達のスピードが遅いというより、練習したことを体がすぐ忘れる。昨日の記憶と同様に。