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2025年

東日本大震災の被災地・福島県南相馬市で7年間支援活動 安曇野の看護師・後藤かをるさん 被災地に心寄せ続ける

2026/03/06
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 平成23(2011)年の東日本大震災で、福島県南相馬市は津波と原発事故の二つの大災害に見舞われた。安曇野市豊科の後藤かをるさん(79)は震災2年後から約7年間、毎月2週間ずつ滞在し、ボランティアの看護師として病院や介護老人保健施設で活動をした。新型コロナウイルス禍の移動制限で継続を断念したが、今も現地に心を寄せる。

南相馬の病院スタッフから贈られた写真ファイルを手に、被災地に心を寄せる後藤さん

 熊本県出身。木曽町の県立木曽病院で30年以上看護師を務めた後、豊科に移り、デイサービス施設で働いていた。大震災の被害をニュースで見て「大変なことになっている」と衝撃を受けた。すぐに支援に行こうと考えたがかなわず2年後、県の仲介で南相馬市に赴いた。
 南相馬市では、災害関連死を含めて1100人以上が犠牲となり、放射能汚染で多数の市民が避難を余儀なくされた。聞き役に徹し、一日20人にマッサージを続けるうち、心の内を話してくれるようになった。子供世帯が避難し戻ってこない高齢の男性患者は「俺は長くないが、子供たちはこれからがあるから」と自分に言い聞かせるように語った。
 スタッフも被災者だった。当初は身構えていたが次第に受け入れてくれた。豊科に帰る時は「行ってらっしゃい」、病院に戻ると「おかえり」が当たり前となった。「後藤さんを見ていると優しい気持ちになれた」「後藤さんを目指そうと思う」「だーい好きです」。病院を去る時に贈られた40ページの写真ファイルには、60人がメッセージを書き込んだ。
 高速バスを乗り継ぎ片道10時間をかけて通ったが「大変じゃなかった」。「役に立てればと思って行ったのに私の方が元気をもらった」と笑う。一昨年、昨年と現地のスタッフが安曇野を訪れてくれた。今年は5月に元看護部長が来てくれる。
 南相馬市は避難指示が解除されたが、住民の帰還は道半ばで「道や建物はきれいになったけど、どこかがらんとしていた」という。「福島の人は今も原発事故の影響に苦しんでいる。一人一人が自分の事として考えなくては。離れていても心は絶対に届く」と力を込める。