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2025年

家業の歩みと人生回顧 小林創建会長・小林政幸さん(山形村)が自分史

2025/12/25
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 住宅建築を手がける小林創建(本社・松本市高宮北)の会長・小林政幸さん(88)=山形村=が12月初め、自分史『我が人生 妻と共に』を作った。昭和3(1928)年、山形村で製材業を始めた先々代からの家業を継いでから老舗企業として発展を遂げるまでの社の歩みとともに、家族、先人への感謝の思いを一冊にまとめた。

 小林さんは昭和12年、5人きょうだいの長男として生まれた。丸太が並ぶ製材所で懸命に働いていた両親の背中を見て育ち、木曽山林(現・木曽青峰)高校で植林や伐採、樹種と特性などを学んだ。卒業後、製材所に入った。
 33年に父・幸登さんが病気のため51歳で急死した。20歳で3代目として後を継いだ小林さんは苦難も多かったが、父が築いた人脈や信頼という財産を頼りに次第に事業拡大を図るようになった。
 39年に小林製材工業株式会社を設立、住宅建築事業にも乗り出した。「やるなら松本へ出よう」と49年に「小林創建」に改名、松本市の中心街の一角に松本営業所を開設した。63年には松本市高宮北に新社屋が完成、翌年にオリジナル企画住宅を発売するなど成長を続けた。
 しかし、平成7(1995)年1月に阪神淡路大震災が発生すると、被災地で木材住宅の倒壊が目立ち「在来工法は危険だ」「木の家は弱い」といった風評が全国に広がり受注は激減、会社の経営は苦境に陥った。経営の立て直しには人員整理を伴い、社員に退職を告げるのは「最もつらい瞬間だった」と振り返る。9年に本社を山形村から松本市へ移転、15年に社長を長男の稔政さん(52)に引き継いだ。業界団体の役員も歴任し、県産材の需要拡大や若手の育成にも貢献した。会社は3年後に100周年を迎える。
 著書では会社の草創期に経理を担った姉や妹、成長期に都内から山形村に戻り、一級建築士として経営を支えた弟・則夫さん(故人)など家族や関わった人への感謝も伝えた。3人の子や母親、社員の世話、村の行事への参加などで家を守った妻の喜恵子さん(84)に対しては「妻の頑張りこそが今日の小林創建の礎となった。会社の屋台骨を支え続けた立派な功労者である」とたたえている。
 A5判、74ページ。趣味で取り組んでいる絵画や家族写真なども掲載した。

自分史を作った小林政幸さん(小林創建山形支店で)