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2025年

旧瑞松寺の礎石 全久院引き継ぐ 400年以上前の土台か

2025/12/03
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 松本城主・戸田氏の菩提寺だった全久院(倉科利行住職、松本市深志3)が行っている本堂の耐震改修工事で、ここにあった瑞松寺(現在は同市中央3)が400年以上前に建てられた時に置かれたとみられる礎石が数十個、床下から見つかった。今ある全久院本堂はこの礎石の上に建てられている。両寺とも明治時代初めの廃仏毀釈で一時廃寺となり、移転して再建していることから、旧瑞松寺の土台を全久院が引き継ぐということが起きたようだ。
 礎石は直径50センチ~1メートルで、本堂の柱の下にそれぞれ置かれている。工事に携わるかわかみ建築設計室(同市大手5)の川上惠一代表(73)によると、礎石の下は版築という土を突き固める方法で深さ50センチ以上、地盤を強固にしてあった。昔の寺院建築でよく見られる土台の造りで、地震が起きても本堂が石の上で揺れて崩れにくいという。
 女鳥羽川沿いの市時計博物館(中央1)辺りにあった全久院は廃寺後、建物が開智学校として使われたためその場では再建できず、明治11(1878)年ころ、同じく廃寺となった瑞松寺の跡に「青柳寺」として復興した。全久院に残る古文書を調べている元松本城管理事務所研究専門員の後藤芳孝さん(77)は「旧瑞松寺の建物は県が師範学校にしようとして残っていた。建物や礎石が引き継がれたのでは」とみる。
 その後、全久院は火災で焼失し、明治31年に今の本堂が建てられた。明治9年に書かれた旧瑞松寺の建物配置図が今の全久院の配置とほぼ同じため、再建時に瑞松寺の礎石をそのまま使ったとみられる。倉科住職は「地域の皆さんが生かせるものは生かして維持してきてくれたことが分かった。未来につなげていきたい」と話す。7日午前10時から見学会を開く。申し込みは全久院(℡0263・36・3211)へ。

全久院の床下で見つかった礎石。大柱の下には大きめの石が配されている

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