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2025年

特攻隊員との別れ追想 塩尻の上條義照さん 戦争末期 実家に夫婦滞在

2025/11/27
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特攻隊員夫妻が滞在した実家前にたたずむ上條さん

 「坊ちゃん、これから行ってきます。泣いちゃ、いけないよ」という別れの言葉が記憶に残る。塩尻市広丘野村で「白ユリ美容室」を開いている上條義照さん(86)。6歳だった太平洋戦争末期、広丘吉田の田川沿いにある実家に、若い夫婦が滞在した。幼かったが、大人や年長者の会話や雰囲気から、夫が特攻隊員だと気取った。
 米作りに携わる大きな農家の末子として、昭和14(1939)年1月に生まれた。周囲にかわいがられ、屋号にちなんで「森の坊ちゃん」と呼ばれていた。
 若い夫婦が滞在したのは半年ほどだろうか。一番いい8畳の座敷などが与えられ、便所も家族とは別だった。同時期、吉田にはほかに2人が滞在していたようだ。
 夫は毎日のように出かけた。どこに、どのようにして行ったかは分からない。時に、生きたウナギや落下傘の一部だったとみられるひも、チョコレートなどをくれた。どれも当時は貴重品で、上條家で重宝したという。
 上條さんは後に「貴重な飛行機の搭乗員を、空襲が少ない地域の余裕がある家に滞在させたのではないか」と想像するようになった。「軍隊のことだから秘密だったのか。父はその後も、このことに触れなかった」と言う。
 実家から独立して白ユリ美容室を開き、63年間が過ぎた。塩尻市内の男性美容師第1号として仕事を続けてきた。「間もなく87歳になる。上のきょうだい3人は亡くなった。今こういう話をしなければ、誰も知っている人がいなくなる」と思う。戦後80年となったことも踏まえ「国のために尽くそうとした人たちのことが伝えられなくなるなら、わびしい」と考えている。

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