朝日村出身の彫刻家・上條俊介 若き日の彫像が村の美術館に
朝日村出身の彫刻家・上條俊介(1899~1980)を顕彰する朝日美術館(古見、改修工事で閉館中)が、松本市中山の民家に保管されていた女性の胸像(石こう像)の情報を求めている。上條が27歳だった大正15(1926)年の東京時代の作品で、なぜ松本にあるのか、どんな経緯で制作されたのか、詳しい資料がなくはっきりしない。「何か知っている人は寄せてほしい」と呼び掛けている。

胸像は高さ45.5センチ、幅24.5センチ、奥行き26センチで、村の美術館に先月寄贈された。背中に「大正15年11月」の文字があるほか、同年5~6月に東京府美術館(現東京都美術館)で開催された「第1回聖徳太子奉賛美術展覧会」の入選作「習作〈女の首〉」(石こうの胸像)、同年10月の帝展の入選作「夕陽」と面差しが似ており、モデルが同じと思われる。
寄贈した仙石鐵也さん(90)の父・丑八さん(故人)は上條と同じ旧制松本中学校(現松本深志高校)の卒業生で、仙石さん宅には同じく卒業生とみられる「関秀一」なる人物と関係する絵はがき2枚が残っていた。両方とも上條作品の絵はがきで、「夕陽」が印刷された方は上條の入選を喜び関氏が丑八さんに送ったもの、もう1枚は上條から関氏に届いたものを丑八さんに譲ったものだ。
胸像は状態がよく、丁寧に袋に入れられて床の間に保管されていた。家族は触っていけないと言われていたといい、丑八さんは「7大家宝」の一つとして大切にしていたという。仙石家の先祖には日本画家の仙石翠淵(1801~85)もいる。
村の美術館には、石こう像「麦踏」や仏壇用の欄間の木彫など、近隣住民から寄贈された上條の作品がいくつかあるが、いずれも戦時中の昭和20(1945)年に46歳で東筑摩郡和田村(現松本市和田)に疎開してきて以降のもの。東京で活躍し始めた20代の作品は非常に珍しく、村教育委員会の丸山真由美係長は「どんなストーリーがあるのか知りたい」と話している。改修工事を終えて本年度中にリニューアルオープンする予定の村美術館で展示する計画だ。
問い合わせは村中央公民館(電話0263・99・2004)へ。