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2025年

窪田空穂の未発表の戦事詠見つかる 太平洋戦争末期に心境詠む 5日から記念館で公開

2025/09/04
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 旧和田村(松本市和田)出身の歌人・窪田空穂(1877~1967)が太平洋戦争末期に詠んだ未発表の戦事詠が見つかり、直筆の歌稿が新たに窪田空穂記念館(同市和田)に収蔵された。昭和20(1945)年6月、沖縄戦が事実上の敗北に終わり、本土決戦が現実味を増す中、衝撃とともに浮き沈みした当時の空穂の不安定な精神状態が表れている。5日から同館で公開する。
 松本ゆかりの男性が直筆歌稿「疎開地にて」を入手し、市に寄贈した。東京大空襲の直後に東京から故郷に疎開した空穂が、謄写版雑誌『槻の木』に寄せるために松本で詠んだ22首で、うち戦時の影響が色濃い10首は戦後も歌集や全集に収録されていない。
 22首が詠まれた時期は20年4~6月。疎開して間もない4月には北アルプスの眺めが穏やかに詠まれていたが、沖縄戦が敗北した直後の6月25日に様相が一変する。「天皇を護りまつりて我が血潮ながすべき日のつひにも来しか」を筆頭に身を奮い立たせる一面が見られる一方、29日の1首は「東京に帰りゆきては死にたしと我と訝るこころ起れり」。それまで生命を詠むことに心血を注いだ空穂が、思わず死を意識した自分に驚き、自身を疑ってかかった様子が分かる。
 會田美保学芸員は当時の空穂について「精神的に追い詰められていたのだろう」と推察。報道で沖縄陥落に接し「いよいよ自分も」と追われていった心境は当時を生きた人々の有り様に通じるとし「徹底的に自己を見つめた空穂ですらこの時期の心の振れ幅は非常に大きい。環境が人の心を変えてしまう戦時下ゆえだったのだろう」と話している。
 観覧無料。火曜休館。