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2025年

被爆の実相 語り部に聞く 中学生の広島研修報告も 塩尻・平和祈念のつどいに100人

2025/08/13
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被爆地・広島での研修を報告する中学生
長崎で被爆した経験のある語り部・橋本さん。記録を頼りに当時を語った



 終戦の日(15日)を前に、塩尻市は11日、「平和祈念のつどい」を市保健福祉センターで開いた。戦後80年の節目に合わせ、長崎市で原爆被害に遭い「語り部」として活動する橋本富太郎さん(81)が講話したほか、市の広島平和教育研修に参加した中学生の報告があり、約100人が聴いた。
 昭和18(1943)年生まれの橋本さんは当時1歳で、爆心地から南に約4キロの自宅で被爆した。「記憶はないが、記録がある」とし、戦後50年を機に集められ、国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館に残る父母の手記や話を基に当時の様子を語った。郵便局員の父は、体にひどいやけどを負った人の求めに応じ水をあげたことを後年「良かったのか」とつぶやいていたという。原爆投下の年の死者が7万4000人余、後に同級生が急性白血病で亡くなり、橋本さんも病気がちで、「後々まで影響する」とした。「原爆が使われたらどんな世の中になるのか、学んで考えて行動してほしい」と呼び掛けた。
 5日と6日に広島市へ平和教育研修に赴いた市内の中学3年生12人が感想を発表した。組合立両小野中の河西咲世子さん(15)は、平和記念資料館で教科書や映像で見ていた被害の記録や遺品を目の前に「言葉を失った」とし、「毎日学校に通い、友達と笑い合える生活は当たり前ではない」と語った。塩尻中の本田大樹さん(14)は「人を思いやる心が世界中に広がったとき、戦争を止めることができる」と述べた。
 百瀬敬市長は「戦争の悲劇を二度と繰り返さないため、戦争の愚かさや悲惨さ、平和の尊さを継承していかないと。世界唯一の(戦争での)原爆被爆国として恒久平和の実現を」と述べ、国際社会で主体的に行動する必要性を指摘した。
 つどいは平成6(1994)年度に始まった次代を担う中学生の研修報告と、講演を合わせた開催形式になり、29回目。橋本さんは昨年度に市が加盟した日本非核宣言自治体協議会を通じて派遣された。

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