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2025年

8月15日の敗戦の報 今も思い出す隣人の表情 生坂出身の平林今朝治さん

2025/08/11
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 「奥さん、日本は負けたのよ!」
 血相を変えてやってきた隣近所の女性の表情を、生坂村出身の平林今朝治さん(93)=松本市村井町西=は今もよく覚えている。
 昭和20(1945)年8月15日。あの日も普段と変わらず、生坂国民学校の仲間と学有林に松根油を取りに行っていた。代用燃料にするため、松の幹に切り込みを入れ、その下に一斗缶を置いておくと松やにがたまる。「透き通ってきれいなもんだじ」。午前のうちにたまった松やにを回収して役場に届け、空の一斗缶と交換するのが戦時下の子供たちの日課だった。
 午前で作業を終えて自宅に戻り、両親やきょうだいと過ごしていた昼過ぎのこと。日本が負けた─と平林さん宅に駆け込んできた女性は「目がつり上がって険しかった」。東京から疎開してきていた歯科医の一家の女性。ラジオで玉音放送を聞いたのだろう。しかし「小作のわが家」にラジオはなかった。
 「何てこと言うだい!日本が負けるわけねえじゃねえかい!」。五つ離れた兄が怒鳴ったのを覚えている。徴兵年齢の引き下げに伴い出征を覚悟していた兄は、毎朝自宅で木銃を素振りしながら召集に備えていた。平林さんは当時13歳。大変なことになったと思わなかったわけではない。しかし「朝起きれば同じ山があり、同じ川が流れている。これがそんなに変わるわけねえよなぁ」。自然に抱かれた生活が、そう感じさせてくれた。
 あれから80年。戦後は郵便局員となり、労働組合をきっかけに平和運動に打ち込んだ。「戦時下ではない終戦記念日がずっと続くように」と願いながら、今年も8月15日を迎える。

80年前の8月15日を振り返る平林さん
80年前の8月15日を振り返る平林さん

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