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2025年

壮絶な引き揚げ物語る服 安曇野・三郷の竹内博信さん 3歳で終戦 家族で逃避行

2025/08/06
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 安曇野市三郷明盛の竹内博信さん(83)は3歳の頃、日本の統治下にあった朝鮮半島北部(現在の北朝鮮)で終戦を迎えた。半島は米国とソ連によって南北に分断。飢えと病気に苦しみながら、家族と一緒にやっとの思いで帰国した。当時身に着けていた子供服と足袋が今も残され、戦争体験のつらさを物語っている。
 あちこちほつれてよれた小さな服と、ぼろぼろの足袋。ズボンは引き揚げ途中で食べ物と交換してしまい、残っていない。「今では考えられないようなことがあった」。竹内さんの記憶は断片的だが、平成15(2003)年に88歳で亡くなった母の竹代さんが体験記を残している。
 竹内さんは朝鮮総督府に勤める父の仕事の関係で、満州との国境近くの町で両親、妹と4人で暮らしていた。しかし終戦後、在留日本人はソ連によって倉庫に収容され、集団生活を強いられた。飢えと伝染病、寒さに苦しみ、毎日のように死者が出る日々。終戦の翌年、日本人の仲間たちと引き揚げを決意した。
 屋根のない釣り船に数十人。近くの港から出航し、隠れて南を目指した。食べ物は何一つなく、暴風雨に見舞われ、死者も出た。約1週間後、飢えに耐えきれず着岸した所が幸いにも南朝鮮(現在の韓国)だった。
 その後、一家は流行するマラリアにかかり竹内さんと父親は歩けなくなった。「長男と残るから娘だけ連れて帰ってくれ」。涙ながらに言う父親を、妻の竹代さんはござで力任せにたたいて励まし、懸命に歩き続けた。「敗戦になった場合、私たちのような子供連れは一番みじめです。(長男の)上着丈30センチ、当時の苦労をよく知っていることでしょう」。竹代さんはそうつづっている。
 一行は米国の支援を受け旅客船で博多に上陸。2カ月近い壮絶な道のりを経て昭和21年10月、松本市に戻り、悲願の帰郷を果たした。
 竹内さんはこれまで、戦争遺跡を訪ねたり戦争体験者の声を聞いたりする機会に参加してきた。最近は「教育勅語の尊重」を掲げる新興政党のニュースなどを見て不安を抱く。「戦争は悲惨なもの。食べる物がないんだから。二度とあんなことは…」。穏やかな世の中が続くことを願っている。

母の竹代さんが保管していた資料を見る竹内さん。引き揚げ時に着ていた服と足袋も残っている

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