埋もれていた中世の山城 山形・殿の子城日の目見る 村史談会が一帯を整備
2025/06/27
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山の中に埋もれてこれまで広く知られていなかった山形村の中世の山城「殿の子城」が、日の目を見た。地域の歴史研究を進める村史談会が中心になって5年前から荒れていた一帯の整備を続けてきたことで全容が現れてきた。村公民館が21日に初企画した山城の見学会には、定員を上回る45人が村内外から参加。史談会の会員の案内で400年余り前に築かれた山城の特徴や役割を学んだ。
殿の子城という名称は、山城のある一帯の地名「殿の子沢」に由来するとされる。小坂の古道から清水高原の清水寺方面へ至る山中にあり、標高1000メートル超に位置する。主郭、主郭に次ぐ第2郭、第3郭、第4郭(いずれも仮称)が存在すると推測できる。主郭の回りに防御を固める二重の堀切(横堀)があり、二重堀切の北側に縦堀もある。有事の際に逃げ込んだり、住民の命を守ったりする機能を持っていたとされる。
村史談会の高野嘉敬会長によると、整備を始めたころはササが人の背丈くらいまで茂り、存在がほとんど分からない状態だった。伝承や地形などから史談会の先輩会員や、山城に詳しい人らと調査・研究を進めてきた。
松本市松原の川尻ひろさん(71)は「山城好きの次男が殿の子城の存在を気に掛けているのでぜひ見たかった。しっかりした造りで当時の人々の努力や命がけの生活を感じた。感慨深く、ロマンを感じる」と話した。
高野会長は「いざというときの住民のよりどころだったのでは。山城の文献はほとんど残っていないが、その分皆さん一人一人が昔の人と対話し考察を楽しんでみて」と呼び掛けていた。
