「松本サリン忘れない」 発生から28年、悲しみ・恐怖・教訓今も

松本市の住宅街に猛毒の神経ガス・サリンがまかれ、死者8人、重軽傷者約600人を出した松本サリン事件は27日、発生から28年となった。オウム真理教がサリンを噴霧したとされる北深志1の駐車場周辺は現在、静かで落ち着いた雰囲気の住宅街で、事件を直接知らない世帯や学生も多く暮らす。一方、当時を知る住民には、事件の記憶や恐怖が刻まれている。現場周辺を歩いて、声を拾った。
道行く男性(78)に声を掛けると、サリンの被害に遭った1人だった。事件当日は夜でも蒸し暑く、窓を開けて過ごしていた。自分と妻、息子に目の異常が現れ、医師の診察を受けた。「何が起こっているのか分からず、何より息子の体が心配だった」と振り返った。「あらゆる意味で忘れてはいけない事件。観光客に事件を伝えることもある」と話した。
事件では、第1通報者で被害者の河野義行さんが容疑者であるかのように疑われ、人権問題となった。現場から少し離れた開智小学校近くで出会った男性(78)は「『あれだけ取り沙汰されているのだから』と、河野さんが犯人だと思っていた時期があった」とうつむいた。近隣に報道陣が頻繁に出入りしたり、報道を見た観光客に河野さんの家を尋ねられたりしたという。「(報道には)速さよりも、慎重で正確な情報をお願いしたい」と語った。
平成30(2018)年には一連の事件の首謀者でオウム真理教の教祖・麻原彰晃(本名・松本智津夫)元死刑囚ら13人の刑が執行され、事件は一つの区切りを迎えた。しかし、「アレフ」「山田らの集団」「ひかりの輪」といった後継組織は現在も活動しており、公安調査庁は「内外情勢の回顧と展望(令和4年版)」で、オウム真理教を「麻原の死刑執行から3年が経過するも、危険な体質を堅持する」と記す。70代の女性は「思い出したくない事件」と直接的な言葉を避けたが「信教の自由とは言うが、納得できない。あんな悲惨な事件は二度とあってはいけない」と語った。