連載・特集

2022.5.18 みすず野

 東京~京都の鉄道敷設に当たって、当初の計画ルートは中山道だった。明治16(1883)年のことという。木曽谷は盛り上がる。そこへ伊那・飯田地方から「待った」が掛かった。その後ルートが東海道に変更される(『中央本線、全線開通!』交通新聞社新書)◆8年後の東京~名古屋構想で誘致合戦が再燃。先に伊那側が動く。人口や産業面の優位を挙げ「木曽は積雪丈余(3メートル以上)」と主張した。対する木曽側は「御料林があり、御岳登山者も年々数万人」と譲らない。後に松本市長となる代議士の小里頼永は「木曽に大雪が降るとは、どこから得た説なのか」と反論している◆塩尻駅が新駅40周年・駅開業120周年―と紙面で見て、何かの参考になればとページを繰り始めたのだが、つい力が入って読み通した。木曽案と決まった答申が覆されたり、両派とも金に物を言わせる買収費が底を尽きかけたり◆曲折の末に明治27年5月23日午後6時過ぎ、衆院委で法案が採決される。木曽では国旗に紅白幕の祝宴となった。鉄道史をひもとくとき、あらためて驚くのは―善きにつけあしきにつけ―地域間競争の熱量と激しさである。

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