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信州出身で江戸時代の大関・雷電 古文書に松本で勧進相撲行った記録

庚申講連中勘定帳の複写(市文書館で撮影)。左から2行目に「雷電」の2文字が確認できる

 大相撲初場所で優勝した御嶽海関(29)=上松町出身=が大関に昇進したことを受け、同じ長野県出身で、江戸時代に大関として活躍した雷電為右衛門(1767~1825)に注目が集まっている。圧倒的な強さを誇った雷電は文化2(1805)年、現在の松本市に訪れている。市文書館(松本市鎌田2)にある古文書の複写には「雷電」との記載が確認できる。

 雷電は現在の東御市に生まれた。体格は一説には197㌢、体重は169㌔とも言われている。巨体と怪力で無類の強さを発揮し、文化8(1811)年の引退まで成績は254勝10敗、2分けなどで、勝率は9割を超えたと伝えられている。
 飯森福太郎家文書「庚申講連中勘定帳」の複写を見ると、「雷電くわんしん、角力五日興行いたし候」などと書かれている。市文書館の木曽寿紀専門員によると、庚申講の集まりの記録だが、周辺で起きた出来事についても記載がある。文化2年に百瀬村(現在の松本市寿地区)で5日間にわたり、勧進相撲が行われ、雷電が来て取り組みが行われたことが分かる。まつもと文化遺産保存活用協議会の会長・後藤芳孝さん(73)=松本市北深志1=は「当時は娯楽が少なかったので多くの人が見に来る。こうした相撲は地元も力士もお金が入り、双方が潤っただろう」と語る。
 雷電が訪れた日時については、庚申講連中勘定帳では「七月」と記されている。雷電は日記も残しており、『雷電日記』(小島貞二編、ベースボール・マガジン社)によると、こちらには「八月」に松本へ入ったとの記載がある。ややずれがあるものの、最強の力士・雷電が松本に訪れていたことは確かなようだ。

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