明治期の松本城本丸返還裁判 貴重な訴状見つかる

国宝松本城(松本市)の本丸と付属施設を、農事実験場として借りていた松本農事協会に対し、県が明治28(1895)年、返却を求めた裁判の訴状(写し)が、このほど見つかった。両者が裁判で争ったことは知られていたが、物証により実際に訴訟があったと確認できた。経緯や関係者も明確になり、城の近代史を考察する上で貴重な証拠といえそうだ。
「官有地所及建物明渡請求之訴状」と記されており、原告は県知事の浅田徳則で、訴訟代理人の宮下一清という人物が提出した。今回見つかった文書は宮下が筆写した「訴状の写し」とみられる。
被告側に松本農事協会という団体名はなく、松本町、和田村(当時)などに住む34人の個人が記されている。売却された松本城を買い戻したことで知られる市川量造の名もある。『松本市史』によると、明治13(1880)年4月には農事実験場を設けようとする動きがあり、その上申書は市川や折井庄司、神田久蔵らの連署で提出された。同年6月に松本農事協会と称しており、訴状の写しにもこれらの名があるため、松本市文化財課の宮島義和研究専門員は「被告らは農事協会に属した人物と推定される」とする。
被告側は本丸の土地や元天守閣などを「農事改良の上で有益な事業」を行うために借りていた。貸し付け条件に従い、県が返却を求めたが応じなかったため訴訟に至った。絵図もあり、被告側が借りた土地や建物が分かる。裁判は明治30(1897)年に被告側が返却することで決着した。
訴状の写しは、首都圏に住む男性が古物商から購入した明治時代の封筒に入っていた。男性は今秋、写しを市に寄贈した。宮島研究専門員と男性は11月発行の信濃史学会誌『信濃』に訴状の写しの概要などを報告した。県が返却を求めた理由は写しからは分からず、今後の研究課題という。