政治・経済

銭湯・ばらの湯70年の歴史に幕 赤富士タイル画がシンボル

ばらの湯の「赤富士」のタイル画と章子さん

 松本市蟻ケ崎2の銭湯・ばらの湯が、17日で営業を終える。葛飾北斎の浮世絵を模した浴場のタイル画が知られ、地域の人に70年近くぬくもりを与え続けてきたが、施設老朽化や燃料代高騰などの影響を受けた。2代目店主の故・髙橋令一さんの妻で、60年以上番台に座ってきた章子さん(86)は「続けてこられたのはお客さんのおかげ。最後の日までしっかりお迎えしたい」と話す。

 入り口を入るとゆったりとしたロビーに出る。年季を感じる番台では、章子さんやともに銭湯を経営する長女夫婦が入浴者を迎える。訪れるのは、近くに住むお年寄りや部活帰りの高校生とさまざまだ。章子さんは「番台に座っていると、浴場から楽しそうな声が聞こえてきて、幸せな気持ちになる」とほほ笑む。
 昭和30(1955)年の創業当時は、初代店主の故・髙橋省吾さんが丹精したバラのアーチや生け垣がシンボルだった。50(1975)年ころに改築し、女湯に赤富士、男湯には神奈川沖浪裏の富士山のタイル画を設けた。撤去したバラは浴場のタイル画に面影を残す。
 章子さんは「昭和のころは昼間から日付が変わるころまで入浴者がひっきりなしだった」と振り返る。入浴者が帰ってからは、夜泣きする娘を脱衣かごに入れてあやしながら、浴場を隅から隅までたわしでこすった。
 客足が緩やかになってからも、掃除は手を抜いていない。「閉店は切ない。これからは自分で風呂巡りをして、お客様に会いに行こうかしら」と話す。
 松本市公衆浴場組合によると、ピークの昭和40年代後半に約50軒あった加入銭湯は現在、ばらの湯を含めて8軒にまで減った。風呂付きの住宅が一般的になり、燃料の高騰なども影を落とす。
 新型コロナウイルス感染拡大による、外出や人々の接触の自粛も痛手だ。組合長で富士の湯(浅間温泉3)3代目の阿部憲二朗さん(64)は「銭湯は人と人とがつながる場」としつつ、「長年、その役割を務めてきたばらの湯がなくなるのは、地域にも組合にも本当に大きな損失」と惜しんでいる。