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塩尻市の勝弦公民館に地元ゆかりの俳人・矢彦雨路の句碑拓本 地元の平谷さんが採取・寄贈

句碑の拓本を寄贈した平谷さん(左から2番目)と解説した辰野さん(右)、寄贈を受けた小松区長

 塩尻市北小野で印刷業を営む平谷茂政さん(77)が、地元出身の俳人で書家・矢彦雨路(本名・知充、1832~1920)の句碑の拓本を勝弦公民館に寄贈した。平谷さんが子供時代の遊び場とした勝弦の自然石に刻まれた直筆の俳句で、平谷さんが採取した。句碑は風化が進んでおり、12月に没後100年となることも踏まえ、矢彦の存在を「世に出せたら」と願っている。

 拓本は幅37センチ、高さ85センチで、「陽炎や鬢盥石に萌る影」と詠んだ句だ。鬢盥石を見ていたら草の芽が萌ゆる影があるが、それは陽炎―との意味らしい。大正3(1914)年にできた鬢盥石の句碑は県道楢川岡谷線沿いの勝弦峠登り口にある。
 寄贈を受けた小松和彦区長は「勝弦にも名所史跡があると提案できれば」と話した。額装された拓本は公民館に展示される。
 平谷さんは昨年秋、史跡や拓本に詳しい自社の社員に教わって初めて拓本を採った。矢彦について詳細は知らなかったが、友人で矢彦雨路を長年研究するフリーライター・辰野利彦さん(78)に教わり知識を深めた。
 矢彦は19歳ころに江戸に出て儒学と書を学び、戊辰戦争に参戦、兵部省などに役人として勤務した。同郷の俳人・小野素水に学び、東京の小林一茶の仮住まい「蝸牛庵」を再興。上水内郡霊泉寺温泉に住んで俳諧を指導したが、大火に遭い、実家に戻って矢彦神社の神官補佐を務めた。明治43(1910)年に憑史談会発足と同時に初代会長となる。「品行方正ではないが、俳諧に勤しむ生き方をした」(辰野さん)。
 北小野には鬢盥石も含め史談会が大正3~5年に建てた矢彦の句碑が五つある。平谷さんは「観光の観点からも、人物も史跡も広めていきたい」と話す。