地域の話題

十返舎一九に親しむ会 地域の歴史学んで謎解き

恭儉寺の釣り鐘について解説する丸山会長

 江戸後期の戯作者・十返舎一九(1765~1831)が安曇野を取材して著した滑稽本『続膝栗毛八編』を研究している安曇野市民の会「十返舎一九に親しむ会」(丸山英二会長)は27日、市豊科近代美術館で本年度の定例会を開いた。会員9人が出席し、丸山会長が、当時一九が見た松本市波田の若澤寺の釣り鐘の行方を調べた成果を発表した。

 若澤寺は「信濃日光」といわれた真言宗の大寺で、一九も文化11(1814)年に訪れ、釣り鐘について記述を残している。明治初期の廃仏毀釈で取り壊されたが、文化財は市内外の寺などに移された。
 鐘楼は松本市梓川梓の恭儉寺に移されたが、釣り鐘は明治期に売りに出されていた千葉県君津市の最勝福寺の鐘を当時の恭儉寺の住職が買ったものだった。若澤寺の釣り鐘の行方は分からなかったが、丸山会長は現在の鐘に「綱吉公」の字を見つけ、由来を調べた。
 君津市教育委員会などに問い合わせて資料を集め、「最勝福寺は徳川家とつながりの強い里見家が建てた寺で、貞享2(1687)年に綱吉から朱印證を与えられたことなどを祈念して釣り鐘を作った」という結論にたどり着いた。君津市教委も同じ見解を示したという。
 丸山会長は「君津市の職員は釣り鐘が現存することを知らず、見に来たいと言っていた。恭儉寺で交流する機会が持てれば」と話していた。